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『日中比較優劣論』 金 文学著 南々社 (1600円+税) |
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| 本著で、著者が日・中・韓3国で出版したちょうど50冊目に当たる。当通信でも案内したように、6月24日(日)広島市で行われた出版記念会が行われた。 著者は、遼寧省瀋陽で生まれた韓国系3世である。母国の東北師範大学での日本語の専攻から、日・中・韓3国の比較文化に進み、その後文明批評家としての道を歩き始め、17年前日本に留学、広島大学院の博士課程を経て後10年、広島に居住している知日派・親日派である。テレビの「サンデープロジェクト」「TVタックル」にも出演、著書も比較文明・文明批評だけでなく、小説やエッセー、古典の解説書まで、多彩な才能を発揮している。 日本人は、外国人による日本人論が大好きにも拘わらず、どうも自分では「比較という視座でものを見る」ことが苦手のようで、戦時中、中国・韓国に取ってきた日本の行動に対する贖罪意識、悪く謂えば自虐意識が根強く、その裏返しとしての友好意識があり、また逆に中韓両国の対日言動に対して、深い嫌中・嫌韓の意識を持つという、2つのタイプに分けられるようだ。 著者は、ことある毎に冷徹な日・中・韓3国の比較の目を注いでいるのだが、本著の「まえがき」で触れているように、「(たとえば)ある国で長所だとするものも、比較することでかえって短所や欠点になる場合も多いとして、 『この意味で、私は一般的日本人に弱点と見られているものを長所と捉え、中国人に長所と見られるものを弱点として捉えたりして、「優劣論」を敢行することにしました』 と述べている。さらに「日本人の中国に対する認識の甘さも鋭く批判している」とあるように、(公平に見つもりだが)国柄・国民性については、なべて日本を高く、両国を低く見ている感が拭いきれない。 これは日本での出版ということも作用しているかもしれないが、案外、これこそとりもなおさず、日本の方が高度な国民性を持っていることを証明しているかのように受け止めてもいいのではないか。 ここらに問わず語りで、「なぜ著者が17年も日本に居住しているのか?」というナゾが解けてくるような気がするのだ。すなわち、血液と郷土という結びつき以上に、日本の持つ国柄や国民性が、著者を強く引きつけてやまないことを示しているように思えてならないのだ。 第1章の「柔らかい日本」に対して、第2章に「かたい中国(の)脆弱性)」を持ってくる。著者は、日本の柔構造社会「和」に対して、中国は「闘」だと謂う。加えて韓国人については、「情」と言う言葉を当てはめるのだが、日本人の感じる「情」と、韓国の国民性における)「情」とは、受け止め方で大きな差がある。別に韓国を表現する「恨(はん)」に置き換えてみると分かり易くなる。 また第3章の(両国民性の)「比較優劣論」でも、ここまで言ってよいのだろうかというくらい、中国の問題点を厳しく指摘している。これはある種の日本人における、対中盲目的友好意識に対しての、一種の警告ともいうべき意味合いを示しているのだろう。 本著は又韓国にも言及して、まず地政学通り日中の中間に置いた前著『大陸根性・半島根性・島国根性』の延長線上に位置づけ、その硬直性と行き過ぎたナショナリズムに対しては、厳しい視点と批判を投げかけている。たとえば歴史認識の問題にしても、相争い、屈服・隷従させてきた側と、逆に屈服・隷従されてきた間に、共通な歴史観など存在するはずがないと斬って捨てる。大切なことは、「なぜそうした歴史が生まれたのか」という事実を、避けることなく熟視する必要性を指摘している。 第4章では、そうした3国が抱える東アジアの持つ、深く大きい内紛(内訌)を乗り越え超克して、世界的歴史観を樹立せよと説く。全体的に日本よりむしろ、中・韓において強く取り組むべき事柄のようだが、日本は忍耐強く繰り返し繰り返し自己主張していくべきだと謂う。その点ひ弱になった日本の有り様に、むしろ切歯扼腕している感があり、最後に当たって、『日本人の国民性改造案』を提示している。 ではなぜ我々日本人は、自分たちの国民性を改造する必要があるのか。その答えを次のように考えてみた。 同じ東アジアの国とはいえ、文中にみられる内紛(内訌)という、同一国に擬した表現を、本著では使用している。このことに、いささか不審に思われる向きもあるだろうが、今までに交わした著者との会話の中で、いま危機に瀕している「西洋発一神教」に代わるものとして、「東洋発多神教」への転換という命題があるが、(比較法にしても消去法にしても)東洋における最大の盟主候補は日本をおいてほかにはいないとしても、それには、日・中・韓という東アジアの協力・連携なくしては、アジアの時代を全うすることは不可能だといえることから来ている。 このことからも日・中・韓が、いわば西洋のEUとでも言える関係を構築する必要性に鑑みて、あえて「内紛(内訌)」という表現を採ったものと理解したい。 そのほか本著には、我々の知らないような、日・中(韓)に絡む歴史的事実を、これでもかという程提示してくれるのだが、私たちは、そうした事実を偏りなく読み取ることが肝要であり、相互理解に至る大道だと知るべきであろう。 この日・中・韓という、近くて遠い国の関係が改善されるまで、著者の苦悩と努力は、まだまだ続くことだろう。 |