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12007.12
グローバリズムの本性 (61)
20世紀の後半、日本を襲ったハゲタカ・ファンドだが、資金の出所は全世界に亘るとして、運営の主力は(筆者が)アングロ・ユダヤと呼ぶ、アメリカを中心とした金融界における自由経済至上主義者である。
彼らは閉鎖的な日本の金融障害を打破するために、当時の大蔵省官僚に「グローバル・スタンダード」という和製英語まで作って押しつけようとした経緯がある。真に実情のわかっていない当時の橋本首相と大蔵官僚たちは、彼らが言うがままに、「金融ビッグバン」と称して、金融機関の自己資本比率の拡大や、所有株式の簿価評価から時価評価への切り替えなど「ハードランディング」を強行した。
加えて当時の大蔵大臣宮沢喜一は、金融機関に対して土地絡みの貸し出しに制限を加え、地価監視制度を設け、更に土地税制を変更したのだが、そのとき既に、土地の価格は下落し始めていたため、そのタイミングを失した引き締め経済制度によってバブルは一気に崩壊したのである。そうした愚策のため、その後10年以上に亘って、バブル崩壊後の長くて暗い「宴の後の呻吟」を続けることになったのである。
2001年4月、「自民党をぶっ潰す」「改革なくして成長無し」また「郵政改革」という勇ましいかけ声と共に登場した小泉内閣に、国民は熱狂的な支持を持って応えた。経済金融面で小泉首相を支えた竹中金融相は、大きな不良債権に悩む銀行に「公的資金」を惜しげもなく投入し、無金利に等しい低金利という超優遇策を講じるという荒技を断行した。
その間日本の多くの製造業は、血のにじむリストラを行うと共に、本来の「モノづくり」に回帰していくことで、ようやくバブル後遺症から立ち直ることが出来たのである。製造業には(金融機関のような)優遇策は一切採られなかったが、国の援助に頼らぬ自主努力によって、自らの進路を確実にしていったのである。
これを見ると、明治維新後の産業革命を、和魂洋才とばかり欧米に追いつき追い越せという「モノづくり」によって乗り切り、その後有史以来初めての敗戦という最悪の国難時も、やはり「モノづくり」によって見事克服してきた。続いてバブル崩壊後の立ち直りも、おなじく「モノづくり」というジョーモニズムによってなされたことを強く心にとめるべきである。
ご存じのようにアメリカは1970年代以降、第3次産業という「脱工業化社会」への道を歩み始めた。これはサービス業・金融産業・知的所有権関連などだが、そのごIT産業の台頭から、一段と加速されていった。
もともと「商」というカテゴリーに秀でた民族性から、また四半期決算・株主優先という制度もあって、彼らにとって脱工業はそれほど苦にはならなかった代わりに、製造業での国際競争力は停滞の一歩を辿ることになる。たとえば、約10年という大きなハンディキャップを貰いながら、結局GMにしろフォードにしろ、再びトヨタ・ホンダを先頭とする日本自動車業界に再び席巻された事でも明白である。
だだ残念なことに最近日本の製造業界において、かつて見られなかったモラルハザードが発生している。その根拠として(すべてとは言えないまでも)トップにモノづくりの経験のない人たちが占めているケースが考えられる。日本の製造業には一時もてはやされたNBAという利益追求型の経営スペシャリストは不要だったのである。
すなわち日本の企業風土として、株主優先でなく顧客・社員優先であり、何よりも品質優先であって、研究のための投資を、それに即応する設備投資を惜しまずに重視してきた。これこそグロ−バリズムと相容れぬジョーモニズムの真骨頂であって、そこに立ち返らない限り、真の日本の復活はなされないであろう。幸い日本の企業には、まだ自浄作用が働いている。今こそ新たな企業倫理の立て直しと、モノづくりの原点に立ち直ることが急務といえよう。
その一方利益追求という一点のみで、「企業買収」というグローバリズムが、爪を研いで虎視眈々と日本の優良企業を狙っている。それに対抗するためには、「敵も知り 己も知る」という対応策の構築が急務だと言えよう。と同時に、「モノづくり」においては、日本型経営法が最適であるという発信をつねに怠らない事が肝要ではないか。