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ハイブリッド文化の検証


日本文化とはなにか? 

 広辞苑によると、文化とは「人間が学習によって社会から修得した生活の仕方の総称。衣・食・住を初め技術・学問・芸術・道徳・宗教など物心両面にわたる生活形式の様式と内容を含む」=カルチャーとある。 一方文明とは「文化が進んで開けた世の中。特に生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められたような社会、すなわち近代社会の状態」=シヴィライゼーションである。

 簡単に云えば文化とは「ソフトウエア」であり、またはハードウエアとしてもその「トータル的な概念」を指し、文明とはそれらソフトウエアによりもたらされる結果としての「ハードウエア」と理解したい。 またその境が交錯していずれにも表現されるものもある。 その点はあまり厳密に解釈せず、本稿ではすべて文化として取り上げていくことにした。

 いくつかの切り口で日本の文化を紹介することによって、日本人の日本文化の優秀さを証明することになるが、その花開いた時期時期に応じて見てみると、それは今まで述べてきた「ハイブリッド」という雑種強勢によって生まれた世界に類のない特異文化であり、それを長い時間かけて熟成し、磨き上げてきたものといえよう。

 そうした日本人の優秀性から検証してみよう。 「日本人優秀論」はなにも筆者の専売特許ではなく、ロケット博士糸川英男氏は 「キオスクの(それも高校を出て数カ月の)女性店員が、あのラッシュ時に多くの客の複数の注文(例えば牛乳にパン、スポーツ新聞など)を殆ど同時に受けて少しの遅れもなく品物を手渡し正確にお釣りを払っている。

 見慣れたものにとってはフツーのことでも、これこそ他国のケースと比較すれば正に驚異に値する資質であり能力であって、それを可能にするのは、外国(人)では30年の経験を必要とする(細部の表現は違うかも知れないが)」と感嘆を込めて述べておられるが、このように他国では考えられないことが、ごく普通になってしまう日本の不思議さを追及し、どうしてこのようなことが起こったのかを探ることが、これから述べる「日本人形成論」のキーワードの一つと言えるような気がする。

 そこでまず、日本文化の位置付けを考察して見たい。


終着駅文化

 日本はその位置と孤立した島国というところから、文化的には吹溜りであり終着点に当たる。たとえば正倉院の宝物が示すように、シルクロードの終点であり途中乗車の文化・文明を雑多に相乗りさせ、全部一緒にひとところに下車させたのである。またこれは稲作文化においても同様である。

 例えばチャイナ文化・文明はそれ自体当初創造の荒削りなものであり、その通過点であるコリア半島ではまだ未完成・過渡的な位置付けであり、それらが日本に至ってようやく(微妙にニホンナイズすなわち換骨脱胎されて)文化として集大成され、洗練されたものになっている。 またチャイナ文化には一つの国が滅んだ際、文化もそれにつれて否定され衰退する場合も見られるが、日本においては連綿と改善され洗練され昇華されて今に伝わることが珍しくない。

 特に日本は国の形状が東西にも南北にも長く、亜熱帯から亜寒帯まで、そして四季による四つの気候(梅雨=雨期を入れて五季ともいえるが)の違いを包含し、不足するものはただ「砂漠=乾燥」という環境だけという小さいながら一つの世界を形成している特性がある。この「砂漠=乾燥」の欠如が、世界で大きな文化圏を形成する西欧キリスト教文化それにイスラム文化・ユダヤ文化との間の精神的隔絶性を生んだことになったと云うことが出来る。西欧文化が「砂漠=乾燥」と云うことは、その発生が不毛の土地(今のイスラエル)に発するということである。

 同時に日本で集約された諸文化は、閉鎖された環境の中で、日本的自己完結型で、しかもオールラウンド型文化に収斂されていったのである。


縄文×弥生文化=ハイブリッド文化

 その形成の中心にあるのが縄文文化であり弥生文化、そしてその結合から生まれた「ハイブリッド文化」ということになる。

 縄文に発した芸術家・職人・技術者としての血は連綿と今に持ち継がれており、邱永漢氏・陳舜臣氏が云うように「中国(チャイナ)人は商人で日本人は職人」という表現の通りであるが、ただ日本人は技術者と言えども単なる技術のスペッシャリストでなく、総合的ににものを考えるジェネラリストの性格を多分に有している点にも表れている。これは米作が培ったマネージング能力から生まれたもので、この両者の能力が今に引き継がれているのである。

 たとえば欧米の技術者はロボットを自分の職を奪う「悪」と見、日本人は「百恵ちゃん・淳子ちゃん」などと名付けて活用する。職域横断型の配置転換にも柔軟に応じるなど、かたくなな技術者根性の持ち合わせはない。

 また吹き溜められたものが一切外に出ず、外からの干渉もほとんどない国情は、当然ながら完結(完全とも云える)主義を生み、醸成され熟成されて、一種の自給自足を超越してなんでもかんでも、例えば清酒・焼酎だけでなく、ビール・ウイスキーからブランデイー・ワイン、フランスパンから英国型食パンに至るまで自国生産してしまう性格があり、分業型・単能型でなくマルチ?プレイヤー的要素を多分に有している。新技術導入にも柔軟・積極的で、たとえば料理の世界に入れば、それこそ、タイ・ベトナム料理まで手掛ける雑多で、それが他国には貪欲という印象を与えることが否めない。

 同時に日本人は新しいものを積極的に取り入れ、それをより良いものに改善していくという資質と、かたくなに伝統を守り後世に伝承していくという、相反する資質がある。それはそれぞれ縄文と弥生の特性ということが出来る。日本文化にしても単にその2つの合体である「ハイブリッド」という性格を超えて、その2つが強く弱く、反発し融合しての発顕と見ていかなければならないだろう。 


手の文化  足の文化

 「狩猟・採集」という生活手段が、農業革命によってそれぞれ狩猟から遊牧へ、そして採集から農耕が生まれた。温暖な気候ながら平野が少なくて山地の多い日本では、結局遊牧という手段は根付くことがなかった。縄文という採集生活から、弥生という農耕に移行したまま、ついに遊牧・畜産という手段を知らぬまま、明治という近世に至ることになる。

 孤絶した島国という特異な環境が、採集→農耕という、一種のモノカルチャーを生んだのだが、日本の豊かな風土は、はやくから定住生活をもたらし、有り余る余暇をモノづくりに費やすとい計う「手の文化」が醸成された。縄文土器がその典型である。

 日本以外のほとんどすべての国では、狩猟→遊牧の民と採集→農耕の民との抗争と融和の歴史が相次ぎ、結果として行動力にすぐれ、戦いのテクニックに長じた遊牧の民が農耕の民の上位につくという構図が定着してきた。いわゆる「足の文化」である。言ってみれば、足の民は移動という得意技を生かして「通商」に特化し、手の民はモノづくり、すなわち「工」に特化することになる。


日本文化のポテンシャリティ

 もう一つ特筆すべきは、かつて地球上で、優れた文化を生んだ国が例外なく衰亡を繰り返してきた中で、日本文化のみが依然として高いポテンシャンテェリテイを継続している事に注目しなければならない。 日本は文化創出国ではなく、文化模倣国ではないかと云う人もいるだろう。

 ならば同じような文化模倣国なら(その文化が)生きながらえているのだろうか。おそらく同じ運命を辿っているはずだ。 このことはそれらの国々の文化創出(模倣でもよいが)層が、ピラミッドまたは山の頂点の一握りの支配者階級であり、彼らの滅亡・交代によりその文化も消滅するのに対して、日本において日本文化が形成され現在に渡るまで衰退することなく継続・成長を続けている。その理由を見てみると

1、 文化形成の担ない手が、一部の上層階級の専用物でなく、優れた資質を持った幅広 い一般大衆のものでもあったから、皇室という頂点の連綿・継続とは関係なく、その文化も連綿・継続して次の時代へ引き継がれて来たのだということが出来る。

2、 常に文化の終着点として有史以来常に新しい文化を飽くことなく吸収を続け、日本 文化の糧にして来たこと。 堺屋太一氏(日本とは何か)が云うように、「侵略されるには遠く、文化の流入・吸収には近い」しかも他国と孤立した島国であったこと、それ応じて常に貪欲によその文化を受信続ける、好奇心とエネルギーと情熱が継続していることが重要である。

3、 常に資質向上につながる血液の更新(交雑)が、巧まずして繰り返して行われてき たこと、そしてそれにより常に血液の更新が図られ、血液の近似化による民族衰退を招くことがなかった。(最後の項で触れたいと思うが、21世紀を前にして、民族の衰退化につながる出生率の大幅な低下現象、それに3Kを厭い、それらを途上国の人に任せようとする機運、そして今やなによりも「すでに外から学び吸収するものがなくなった」とする不遜な考えの定着など、このままで行くと衰亡しかねない状況化にあることを「縄文資質の見直しと復活」として指摘しなければならない)

4、これは後述の「森=みどりとの共生」というバック グランドがあったと云う事実。すなわちそれら世界の文化発祥の地が、いずれも木をそして林を森を失って、荒廃し砂漠化したことが衰亡に結び付いている事実がある。

 日本は現在でも67%という緑を有する稀有の文化国家であるが、それには森・木に神を見て恐れうやまい大切に保護してきたことに加え、たとえば 世界的に多雨で森林の育成に最適な地域であった、コメ作りに当たって、利水に森の重要さを本能的に知っていた、民族的に燃料として木材の使用度が低かった(温暖・料理法など)、最近であるが国内の木材が国際的に高価になり、長期間伐採が低調になったなど、ここにも日本にとって一種の僥倖があったことを知らねばならない。

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