天災は神々の怒りの声だった−2

 昨年一年を一文字で示す行事で「災」という字が選ばれるほど、災害に明け災害に暮れた一年だった。加えて12月26日に発生した「スマトラ沖地震と津波」による人的被害は二十万人を超え、被災者家族200万所帯に上る史上空前の大災害となった。謹んで哀悼の意を表したい。

 前回、天災は人倫を外れ、恥を忘れた日本人に対する「神々の怒り」だと書いた。舌足らずの部分もあったし、ではなぜそうした人が罰せられずに、罪のない人たちが被害に遭うのか、という疑念をお持ちの方も多いと思われる。もちろんこうした、なにも根拠を持たない精神論的発言に目くじらを立てる人はいらっしゃらないと思うが、あえて付言しておきたい。

 ご存じのように、4つのプレートの接する世界一不安定な地盤と、これもまた最大の火山帯を持つ日本だから、災害の発生自体不可避なことなのだが、問題は人口の増え過ぎで、住んでいい場所が次第に狭められて、不適切な場所に不適切な人数が居住することから、予想を超える被害が発生する。問題はそうした居住場所としての適正な基準が、公私ともに守られているのかという問題である。いずれにしろ過密した人口の中で、自分なりの危険基準を設定し、それを決めたならば、あとは自己責任しかないというのが現状である。

 たとえば、おそらくそんなに遠くない未来、必ず発生するだろうといわれる東京大地震を避けるために、みずからその地を離れようとする人が、果たして幾人あるのだろうか。日本人には、住みついた場所から離れがたいという心情があって、それが行動を左右するのだ。

 さてモラルをなくした者、恥を忘れた経営者そして企業には、(雪印・三菱自動車などでわ かるように)「天網恢々粗にしてもらさず」の例え通り、国民の信用低下から来る不買に近いしっぺ返しが発生したのはご存じの通りである。ここで問題なのは、そうした企業で真面目に働いて来た人たちも、同じように非難の目を浴び、業績低下による被害すら担わなければならない運命が待っていることである。出来ればそうした事に配慮した対応が待たれることになる。

 塾長もふくめ、日本のいろいろな問題を厳しく問う声がある一方、この度の地震と津波の中で発生した問題として、子供たちの人身売買であるとか、救援物資に我先に群がる無秩序さとか、独立運動の渦中にある震源地スマトラ島アチェ州において、災害そっちのけで行われているインドネシア国軍と独立派の抗争とかを見るにつけ、10年前の神戸における整然とし、毅然とした市民の態度と比較し、またこの度、我がことのように災害に手を差し伸べる日本人の有り様に、まだまだこの国に残された善意と誠意の大きさを感じずにはおれない。

 願わくば、日本の企業人に、更にいえば省益しか考えない役人に、かつての気概と誇りを取り戻してほしいと切に願うものである。


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