教育改革はここから〜

 安倍総理は、公約の大きな柱として(「美しい国」を目指すため)「教育改革」を大きく打ち出した。また伊吹文科相は、前号でも指摘したように、早速「小学生に英語教育は不要」ときっぱりと切って捨てた。

母国語教育すらあやふやな現状を考えると、まさに胸のすく思いだが、続けて高校での日本史選択制度を、必須科目にするよう中教審に検討を指示した。日本史が必須科目でないと言うこと自体信じられないことだが、こうしたことが長い期間、ほとんど報道もされずにきたことも不自然である。

 最初から心配しても始まらないが、首相の強い意志でスタートした補佐官制度で、教育関連では山谷えり子議員が担当し、諮問機関として「教育再生会議」が発足したのだが、文科省には、前述「中教審」があり、早くも官僚派と民間派の綱引きかと論ずる向きがある。

結局「教育再生会議」のメンバーには、ほぼ半数「中教審」の委員が参加することになった。当然と言えば当然、下手な勢力争いは避けて、実りある実績を上げて欲しい。

 いずれにしろ、こうしてようやく懸案の「教育改革」が緒に就こうとしているのは喜ばしいことだが、まず第一に取り組んで欲しいことを低学年から順に挙げてみたい。
 
 今小学生が、「机につかずに大声を出す、教室内を歩き回る」という問題が取り沙汰されている。この原因として幼稚園・保育園での教育姿勢があるという説と、アスペルガー症候群など「発育障害児」の問題も指摘されて久しいのだが、一向に改善策が示されていない。

それになぜ幼稚園と保育園を分けなければならないのか、機会均等思想から遊離し、縦割り行政の弊害を助長している現状を解決して一本化し、年長組に対して、早急に小学校のシステムに順応できる教育を施すべきである。

 老齢化・少子化が進む日本において、老齢化対策事業が新しい産業になったように、「幼児教育システム」が新事業として浮かび上がっても、決しておかしな話ではない。

 第2に、いま日本の教育でもっとも重要なことは、義務教育が進学のための必須コースとして、最大の目的がいい学校に進むための進学塾に成り下がっていることの打破である。

 学校教育の最大の目的は、自分の適性を把握して、それにもっともふさわしい道を歩むのものでなければならない。そのために教育界のなすべき事は、生徒・学生をすべて「エリート中心・エリート優先主義」という枠に押し込めた学校教育の是正である。

少子化によって生徒のすべてが大学に入れるご時世だが、バランスの取れた社会構成として、学歴を必要としない職域、例えば建設現場(大工・左官・とび職・工場職人職・サービス業店員・・・)に対する配慮を学校教育に織り込まなければならない。すなわち義務教育の中に、そうした職業に必要な訓練教育を込む必要がある。

 かつて我々が学んだ時代には、1つの小学校に(旧制中学に進学するクラスと、しないクラスがあった。考えようでは差別と映るかも知れないが、選択する職業から見て、案外合理的な側面もあった。

 こういったシステムがうまく稼働すれば、いわゆる「落ちこぼれ」という層の存在が解消されることになる。いま望むべき日本教育の課題は、「オール・ホワイトカラー」志向という、工業立国にあるまじき教育制度にある。その是正が最大の急務だと知るべきである。

勿論そこから、より高度な技術習得や専門教育を必要とした場合には、従来の学校教育の枠組みから離れ、新しい審査基準による、新就学システムの構築と奨学資金制度の充実が不可欠なものとなるだろう。

 第3の改革は、欧米先進国に倣って、大学入試を容易にすることである。勉学の目的を、「大学に入試すること」として、そこで「燃え尽き症候群」、一種の虚脱感・歪んだ達成感から、大学生活を無為に過ごす悪習を生んできた。今の大学入試は「百害あって一利なし」である。

 入試の基準を下げる代わりに、授業を厳しいものにして、一定の成績をクリアしないものはビシビシと留学・退学にするのだ。その代わり、中途から学びたい学問を、取れなかった学科に、自由に「再チャレンジ」する仕組みを導入することで、開かれた大学を構築する。

 この3つを改革するだけで、おそらく「教育再生」の半ばまでは、仕上げられるはずだ。第一履修科目の不足問題など、たちまち雲散霧消してしまうではないか。


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