格差問題・再考(3) ・・・ 農村問題を考える−1

 ようやく本題の、農村部および最近の広域合併で農村部を併合して大きくなった地方都市の地域間格差の実態にアプローチすることにしたい。ご存知の通り、広域合併のお陰で農村部までも、地方都市に包含されてしまったため、どうしてもこうした地方自治体に言及することになる。疲弊し過疎化した農村のダメージは、そのまま包含した地方自治体にストレートに反映されることになるからである。

先般の夕張市の破綻と、陸続と続く破綻候補生の市町村の実態を知れば、おそらく多くの地方自治体は夕張市の破綻を「明日我が身」と戦々恐々としており、他人事のように思っている市町村は皆無と言っていいだろう。

 その実問題なのは、例によって政策ミスで赤字が増大しても、一切罰則のないお役人たちや議員さん、「その時が来ればその時」と、案外ノホホンとしている人が多いのではないか。自分の懐が痛まなければ周りには幾らでも似た境遇のマチがあり、ムラがあるのだ。いわば「みんなで渡れば怖くない」という思いのお役人が、沈みかけのドロ舟の中にたんといるようだ。

 彼らが量産してきた「第3セクター」の破綻にしても、結局誰も責任を取っていない。わたしは常々、弥生に発する「コメ文化」、それを営々守り続けてきた「ムラ意識」が、日本の社会構造を形成してきたという理論を提示して、「ヤヨイズム」の弊害を説いてきた。それを打破して、<ヤヨイズム=農>の仕組みに、<ジョーモニズム=工>の精神と仕組みを導入すべきだと言い続けてきた。

 さすがに無駄な出張や、研修旅行に名を借りた観光旅行は減っただろうが、さて合併でどの程度不要な議員や職員が整理され、合併によるコスト削減の効果が上がってきたか、その後その新自治体にどんな赤字がどの程度有り、それを何時までにどのように対処していくかなどなど、住民は詳しく検証し厳しく目を光らせ、追求していく必要がある。

(ジョーモニズムについては、今月の縄文塾通信及び縄文塾HP“縄文が日本を救う”で詳述する http://joumon-juku.com/help/index.html

 復習してみると、「ヤヨイズム」とは、日本という地にコメを定着させるために不可欠だった、「縦割り・横並び・経験至上主義・談合・先送り・責任非追及…」という「ムラ意識」だった。この構造が知らぬ間に日本の強固な社会構造に成長していたのである。特にお役所そして官僚は、この「ヤヨイズム」の象徴であり、牢固として抜きがたい守旧派であって、改革や外からの異物は「前例がない」として排除し、赤字体制を墨守し続けてきたのである。

 たとえば、地方自治体に改革意欲に燃える新首長が就任したら、議員が束になって改革妨害をする。都市部からの移住を嫌い、特に自分たちの動向に口を挟むことを徹底的に排除し、農林関連に対する新しい企業参入を拒絶するのだ。外からの新しい血を排除し、自らもなんら改革する対策も妙案がなくして、ただお上におねだりすることで、地域格差を云々するのは筋違いだと言えるだろう。

 今まで日本という国は、改革に当たって常に「外圧」という手段・通過儀式を必要としてきた。農林業の屋台骨がすり切れ、腐食し傾き、いまにも崩壊する寸前だということに気付き、目覚めなければならないところに来ているのだが、今差し迫った外圧は、農産物の自由化である。食糧自給率の向上を願う行政側としても、これ以上生産コストが下げられないところまで追い込まれている農民としては、おいそれとは外圧を認めるはけには行かないのである。

 こうした中、(10月10日の)衆議院予算委員会での、菅直人氏の発言には驚いた。前述今回の農民への「一律ばらまきマニフェスト」という名案が、民主党勝利に大いに作用したと広言し、これは自民の行ってきた農村への公共投資と違って、直接農民の体質強化に結びつくと自画自賛する。加えてヨーロッパの食糧自給率の改善は、すべて農民への直接援助のせいだと言う。

 こうした論議には、基本として一人あたりの耕作面積や、収穫の平均数値の比較、それに農民の平均年齢や後継者の動向も比較した上で取り上げるべきなのだが、彼の説明にはそれが一切出てこない。日本のように狭い耕作面積しかないところでは、まず通用しないことは、かつての減反政策とか、農業補助金が決して農民救済・農村振興に繋がらなかったことと軌を同じくした愚策と言わねばならない。平均年齢60歳以上という農村に金を配って、振興策とほざくのはやめて欲しい。

 本当に議論すべきは、党の施策の良否云々でなく、差し迫った農村の構造改革において、現在40%を割り込んでいる「自給率向上」と、自由化という巨大な外圧の狭間であえぐ「日本の農」のあり方であり、目指すところなのだが、自民・民主とも、そうした大きな課題を避けているか、あるいは理解していないのかも知れない。

 以下述べる提案にしろ改善策にしろ、おいそれとこの大きな「二律背反」を解消させる力は持ち合わしていないかもしれない。ただ1つ言えることは、取り上げられてきた「日本の農」は、その殆どがコメの問題であった。ところがコメは、唯一日本が100%の自給率を達成している農作物なのだ。

10月15日のNHKテレビ番組「あなたは日本のコメを食べたいですか?」で、苦悩する農民の姿を追っていた。ここでは部落の農家が法人化集約化することで始めて政府から補助金を受けられる制度に則り、集落営農法人化と小さい耕地を大きく纏めるために努力しながら、幾つもの難問をクリアーできないでいる現状、またすでに大型化に踏み切りながら、農協の買い取り価格の引き下げて赤字を余儀なくされ、直販の道を模索しながら新たな負債の増加に苦悩している姿があった。

また同じ番組で、アメリカ・チャイナなどが「コシヒカリ・あきたこまち」などを生産し、着々日本への輸出のチャンスを狙っていることも報じられた。こうした中でコメ作りが単に規模拡大だけで対応出来る方法などあるわけない。

 この放送の中には、いわばお上に依存し過ぎてきた愚直な農民と、彼らになんらの道を示せなかった国・地方自治体、それに農協の大きな怠慢が見て取れる。いまさら平均年齢60歳を超す農民に「農の活性化」を求めるのは不可のだろう。はっきり言って、若い世代の農業参入なくして、農の再生は不可能と言えるだろう。

 なおこの番組で、日本の「匠の技=工」を高く評価してきた経済評論家内橋克人氏が、なぜか「工の農への移植」を厳しく排除していたことには驚かされた。

 ネット上のウィキペディア(経済評論家内橋克人氏)によると、

(要約)
(内橋克人氏は)将来的に日本が国際競争力の減退により食料輸入が不可能になる危険性を指摘しながら、競争力強化の為の市場原理主義導入を批判するなど矛盾した主張が見られる。

 とあるが、いま行き詰まった日本の農=ヤヨイズムに、日本の工=ジョーモニズムを輸血するのがそんなに悪いことなのか、多分工の一面だけを見ての発言だと思いたい。日本の「工」も、ITという新技術を導入して甦った。日本の農もITを包含した「工」を輸血することで蘇生しなければ、明日はないと知るべきである。

 いま必要なことは、「農林」というより広いスタンスで、また「農林」以外の要素を取り込むことで、内側から自分たちのムラの「新しい生き方」を見つけ出す意欲と努力が不可欠であり、従来の補助金や援助金などに頼る姿勢では、早晩人の住まない農村になるものと知るべきである。

 教訓として一般の中小製造業が、銀行の貸し渋り・貸しはがし、親会社の極端な値引き要求という無理難題の中で、数多く倒産していった中で、ようやく生き残ったのは、やはり痛みに耐えて「自助努力・創意工夫」によって自立してきた企業だったのである。痛みを避ける他力本願で、物事が解決するはずがないと知るべきである。

                      (この項つづく) 


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