格差問題・再考(5) ・・・ 農村問題を考える−3

農林業改革のための、いくつか試案(前号よりつづく)

3.急務としての林業再興

 日本は無資源国だと言われているが、かつては「黄金の国ジパング」と呼ばれ、金・銀・銅の世界有数の産出国であった。それを徳川末期には殆ど掘り尽くし枯渇させてしまった。鉄・石炭にしても、豊富な鉱脈は持ちながら次第に掘削量が減少し
てコスト割れし、閉山して久しい。こうした地下資源は、すべて枯渇してしまう運命にある。現在豊富な原油産出国も、近い将来日本と同じ運命を辿ることになる。

 ところが森林資源は、うまく伐採と植林を行えば永続的に再生産される「循環型資源」である。日本は植物の生育に恵まれたアジアモンスーン地帯にあって、豊かな森林資源を有しており、しかも徳川時代から積極的に「植林事業」に取り組んでき
た世界でも珍しい森林王国であった。現在先進国で、森林のカバー率70%に及ぶ国は日本を置いてほとんどない。そうした好環境にありながら、その実情は憂慮すべきものと言わねばならない。

 戦後の荒廃した日本の復興のために、国を挙げて植林に取り組み、日本の山は、建築資材として適し、しかも植林に適したスギ・ヒノキという陽樹の単一林に塗り替えられてしまった。その成長過程で不足する木材を東南アジアに求めたことから、その地の荒廃を招き、熱帯雨林破壊に荷担した張本人という汚名を、世界中から浴びせられたことは記憶に新しい。

 その後さすがにアメリカ・カナダを始め、分散輸入にシフトするのだが、農村人口の激減と伐採環境の悪さから日本の森は間伐がスポイルされた放置され続けてきたことで、日本の森は、見かけ以上に深刻な状態を示している。

 キャッスルゲイトHPより『森と人の地球史』<第10章 日本の抱える難問と解決策>より
  第2項『「日本の森」総括 参照願いたい。
   http://joumon-juku.jp/mori&hito/102.html

 しかも日本の林産業は、日本住宅界の「プレハブ様式」「ツーバイフォー工法」へという態勢に背を向け、従来の「柱建て工法」を墨守して時流から取り残されてきた。これは大企業の参入を阻害してきた排他思想の帰着する当然の結果と言わねばなるまい。

 昨今やはり林野庁が音頭を取って、廃材・間伐材を利用した「木質バイオマス」事業が各地で行われているが、その多くは赤字で行き詰まっているという。こうした新規分野への進出に当たっては、緻密な生産計画とコスト計算だけでなく、流通から最終需要までの一貫した計画が不可欠だが、お役所・農林従事者には、そうした総合的計画と経営センスを持ち合わしていないことが生んだ、当然の結末である。今後いかにして農林業に、新しい経営センスを持った企業が参入できるかが、大きな鍵を握ることになろう。

 前回『緑のオーナー制度の破綻−2』で、「新林道充実のすすめ」を書いたが、価格的にはすでに世界水準まで下落した木材価格だが、それは(文字通り)流通面の隘路の結果である。多くは峻険な山の側面に位置する森林の伐採・伐りだし・運搬を容易にするため、また今回カリフォルニアの山林大火災のように、温暖化による山火事対策としても、新しい目的での林道設置が急務であろう。

 これは行政の援助も必要だが、地元の林業者・森林所有者の
積極的参加なくしては不可能だと知るべきである。


4.特産品開発のすすめ

 前述のように、折角幕藩体制で築き上げた「一藩一品」という金融作物あるいは製品が、今やコメ一辺倒というモノカルチャー農業政策という愚策によって無に帰したしまった。勿論昔のままの「一品」が、そのまま通用するはずはないが以前平松知事時代に、大分県で喧伝され取り組んできた「一村一品」「地産地消」という理念を再度思い起こす必要がある。

 広島市のJA県経済連のビルには、「地産地消」という垂れ幕が下がっているが、その実広島市内の有力スーパーの店舗では、ブランド肉として「佐賀牛」が並んでいても、なぜか「広島牛」はゼロである。「何故かは知〜らねど…」これもJA農協の怠慢と言っても差し支えないだろう。

 かつて広島では、「神石牛・比婆牛」というブランド牛がいた。それが(多分)JAの意向で「広島牛」というブランドに統一されたのだが、結局焦点のぼけたブランドで魅力を失ったままのようだ。折角ならJA広島のメンツにかけて、「地産地消」の目玉として、「広島牛」を強く推進すべきではないか。

 これは特殊な例だが、宮崎県では東国原知事のキャラクターイメージで「宮崎鶏」を中心とした商品で売り上げを伸ばしている。地元が思う以上に知名度の高い地域も多いはずだ。ここでも都会の人の知恵を借りて、新しい商品の開発に注力し、また現在販売中の商品の拡売や知名度のアップに、ネットなどコストパフォーマンスの高い媒体を最大限利用してほしい。

 農民は、作ることが出来ても売ることが苦手である。その部分に得意な人たちを参入させることが急務ではないだろうか。

 たとえば毎年春と秋に、大々的に「農村特産品フェア」を開催して、消費者との「食を通じたコミュニケーション」を深くすることも、ニーズを把握して新製品の開発にもつながる有意義な手段であろう。


5.移住者・都会人との垣根をなくせ

 広域合併によって、一つの町あるいは市に、広く農村部を併有することになった。とすると、同じ町民であり市民である。今までのように「よそ者」ではない。農林業に携わらないから「よそ者」という発想は、みずからその仕事を捨て去っているご時世だから、もはや通用しない。

 水が澱んだ川のごとく、停滞したムラは間違いなく滅んでしまう運命にある。いまさら他人やよそ者でもないだろう。仄聞するところ、折角誘致した工場なのに、三交代勤務制にそぐわぬために、就職希望者が少なく、また折角就職しても辞めていくケースまであるという。

 考えようでは都市部の団塊の世代、ミスマッチングで就職にありつけない人などを、呼び寄せるチャンスではないか。それをみすみす他人・よそ者として排除する姿勢は取るべきではない。

 前回も述べたように、大都市と地方都市、それに農村部という地域間格差にしても、住宅や食料の価格、それに家庭用の農園や遊休水田の利用などによって、少ない収入に応じた少ない出費という面を考慮すれば、全く違った答えが出てくるはずだ。今こそむしろ積極的に「農村にお出でよ!」運動を展開してもいいのではないか。

 またなにも永住でなくても、遊びに来て貰うことも必要である。農村の人には考えられないことだが、豪雪地には「雪下ろしツアー」があって、お金出してわざわざ屋根の雪下ろしに参加する人だっている。たとえば棚田や酒米オーナー制度で、田植え→水汲み(酒造り)→月見パーティー→稲刈り収穫祭→コメ・お酒の配布という方法もあるだろう。

 森の多いところでは、いまはやりのツリーハウスも面白い。ただ家造り・寝泊まりだけでなく、他のイベントと組み合わせることで新しい展開も図れるだろう。要は他人との接点を大きく深くして、村おこしに結びつけることが肝要である。

 イベントや宿泊には、廃校になった校舎・運動場の活用があっていい。住宅情報として、空き家になった農家の紹介や、間伐材を使用した住宅の販売など、ネットと知恵を使った地域紹介も必要だろう。

  <付 記>

毎日新聞は 2007年10月26日付けで、「農地政策:「面的集積」への企業参入けん制 自民が方針」として、

 自民党は26日、農地政策のあり方についての方針をまとめた。分散した農地を1カ所に集める「面的集積」の促進や耕作放棄地対策を求めるなど、農林水産省が検討している農地政策改革の方向とほぼ一致した内容。ただ、面的集積を進める際には「公的関与」のもとで「意欲ある農業者を優先」するとの記述を盛り込み、一般企業の参入拡大をけん制した。

と報じている。お上のこのような頑迷な発想で農業再生が可能と本当に思っているのか。このような行政に任しているようでは、「日本の農」の未来は果てしなく遠くて昏い。

 ご存じ養鶏では、名目は兎も角、数十万羽という大規模農場は、すべて外からの資本であり、農民は安定した農業労働者として勤務している。私たちはそのおかげで安くて新鮮な鶏卵を食べることが出来るのだ。

しかも鶏卵は、日本で唯一国際価格に対抗出来る農産物なのである。こうした成功例を度外視した農政の有り方こそ、問われるべきではないか。    <完>


前へ目次へホームへ次へ