再チャレンジ政策の抜け落ちた大穴とは

 安倍政権の掲げる「骨太の政策」の一つ、である「再チャレンジ支援策」に、もっとも必要且つ重要な案件が、見事に欠落していることに気づいた。首相官邸のホームページを見るとわかるが、大きく分けて、

1. 皆さんの再チャレンジとして、就業・学習・創業の支援
2. 若者・子どもの支援策
3. 高齢者・団塊の世代

とある。それぞれに具体的な項目があるのだが、その中にすっぽりと抜き落ちているのが、倒産企業者のための再チャレンジ・支援プランである。上記プランも大切なことには違いないが、これを欠いては、まさに「画竜点睛を欠く」のそしりを免れまい。

 具体的な数字を記憶しないが、アメリカにおける倒産者の再チャレンジ率は70%台で、日本のそれは20%台だと聞く。一体この差はどこから来たのか、日本ではなぜかくも低いか、そして今回の「再チャレンジ支援策」に、なぜこの部分が抜け落ちているのか、また誰もその事を指摘しないのか、その辺りをしっかり見極める必要がある。

 この再チャレンジ率が、アメリカと日本の間にかくも大きな差があるのはなぜか。その辺りから考察のメスを入れる必要がある。

 第一に挙げられるのは、資金調達方法の差であり、第二は商習慣の違いであり、第三は倒産者に対する世間の目と接し方である。以下それぞれを検証してみたい。

1. 資金調達方法
 日本において、(大企業の子会社は別として)新規企業が必要とする資金は、ほとんどが銀行から調達する。銀行は一応形式的に事業の内容や営業計画を調査・確認するが、最終的な貸し付けの保証は、土地担保であり本人の個人保証と1〜2名の連帯保証が決め手になる。

 この土地担保制度は、明治維新に当たって「西洋に追いつけ追い越せ」という、当時の政府の方針によって、当時まだ個人の所有物ではなかった土地を、便宜上担保として資金を貸し付けたものが、依然として銀行の貸し付けに当たって利用されているという、まさに古色蒼然たる代物である。

 個人保証・連帯保証については、そのスタートはよく知らないのだが、手堅い銀行のリスクヘッジとしてこれも連綿行われているものだ。この連帯保証によって全財産を失ってしまうという悲劇はよく聞く話である。

 巷間「銀行は天気の時に傘を貸して、雨になると傘を取り上げる」という話を聞く。バブル時には無理矢理に貸し付けながら、崩壊時には「貸し渋り」ということで話題となったことは記憶に新しい。これなどは、大局を見る目の無さと併せ、貸付先の動向よりも、我が銀行の安泰を優先する姿勢を見事に言い表している。

 一方のアメリカでは、新規事業に対する投資専門の銀行があり、特にヴェンチャー企業に対しては、俗に「エンジェル」と呼ばれる「ヴェンチャー・キャピトル」が存在する。こうした機関は、新事業に対して徹底的に調査し、必要とあれば経営全般の指導から人材の紹介や派遣など徹底した支援を行う。

 土地担保とか個人保証は取らない代わりに、成功報酬として上場した場合、一定割合の株式、あるいは利益の確保する。それでも失敗したら自分の失策として一切の債務を背負うのだから、当然といえば当然。日本が「ローリススク・ローリターン」で、アメリカ型は「ハイリスク・ハイリターン」である。いずれが優れたシステムかといえば言うまでもない。

2. 商習慣
 日本ではほとんどの取引が長短の差はあれ、手形取引、あるいは20日あるいは月締めの○○日払いという、信用取引である。だからもし倒産すれば、銀行よりの借入額以外に、仕入れ商品代金までも負債として加わってしまう。

 一方アメリカでは逆にほとんどが現金取引である。ということは、そうした運転資金も貸付け資金の中に包含されていることになるから、倒産による迷惑の範囲が限定されることも大きい。

3. 倒産者に対する世間の目と接し方
 倒産による迷惑度が幅広いこともあって、概して倒産者に対する世間の目は冷たい。もう一つその根底には、日本人特有の「穢れ意識」が厳として存在することを忘れるわけにはいかない。これはいわゆる罪人に対する視線と同じようなものである。世の中に、また人様に迷惑を掛けた者は、それを償ってもなお消え去らないようだ。その点アメリカでは、罪を償えば普通の人に戻るという発想がある。

 ことほど左様に日米その差は大きいが、日本が否応なく世界に開かれていく中で、現在の銀行のあり方が依然として明治以来の陋習に固執することは、百害あって一益なしと言わなければならない。ところが今の銀行で、果たして「土地担保・個人保証」という陋習を打破して、新しい投資システムを採用するところがあるだろうか。答えは絶望的である。

 またアメリカにおいて倒産者の再チャレンジ率が高い理由として、「失敗に学ぶ」という経験度の集積に対して、融資側が大きな理解度を示しているからに他ならない。その点では日本も同様だと思えるのだが、悲しいかなそれに対する理解度も制度も存在しないのだ。

 もう一つ今の銀行に求められているのは、こうした新しい融資制度とともに、株式投資銀行、証券業務としての習熟意欲の低迷である。例えば優秀なトレーダーは、その実績に応じて高額の収入を約束されるのだが、多くの銀行では依然として年功序列型給与の枠を脱しきれないため、こうしたトレーディング部門の確立に積極的ではない。

 いきおいほとんどの銀行において、取り扱う「金融商品」のほとんどは、アメリカを中心とした会社の投資信託であり、ファンドでありポートフォリオである。バブル崩壊から20年近くが経ってなおこの有様である。はたしてこうした銀行に未来はあるのか、はなはだ空恐ろしい限りである。

 極論じみるが、郵貯が民営化した場合、アメリカのハゲタカファンドの餌食になると言う声が大きい。「歴史を学んでも歴史に学ばない」日本の金融業界、もし「(ハゲタカファンドに)再びむしり取られるような金融機関なら、さっさとむしり取られてしまえ」というのが、正直な思いである。

 恩に着せるわけではないが、われわれの貴重な預金に対してほとんど無利息で、政府にも不良債権解消で援助を受けることで、やっと息をついできたにもかかわらず、好況になって利益を上げても、預金者に対していささかも感謝の思いが見えず、未だに無利子のぬるま湯にどっぷり浸かったまま、依然として古めかしい仕組みにしがみついているのが日本の金融界の姿である。

 安倍さんもその周辺のブレインも、「再チャレンジ支援策」と言いながら、こうした重大な部分から目をそらして、無策のままということでは、国民から大きな信頼を得ることは難しいだろう。出来れば銀行の「構造改革」を兼ね、項の問題を一番に取り上げてしかるべきだろう。

 だったら民主党はどうか。果たして今の民主党に、この問題を争点にして自民党に論戦を挑む気概と意欲と知識があるのだろうか。残念ながらここも頼りないことおびただしい。


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