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藪睨み「リサイクル論」
いわゆる「省エネ」の一環として、常に取り上げられる言葉が「リサイクル」である。ご存知、「使用したものを再(々)度利用する」という意味だが、日本は「江戸時代から<リサイクル大国>だった」ということまでが取り上げられ、ベストセラーまで出てくることとは、「贅沢は敵だ!」「欲しがりません 勝つまでは!」という、戦時中の標語に囲まれて育った、私たちのように年配者には、「なにをいまさら〜」という思いなきにしもあらず、である。
資源小国に日本では、「節約」とか「物を大事に〜」という思想は、元々身についていたのだが、戦後アメリカの消費文明の普及から、そうした意識が希薄になり、次第に「使い捨て意識」が普通になってきた。
いわゆる標語として、「3R=リデュース・リユース・リサイクル」という使われ方をしているが、無駄を出さないようにする意味のリデュースは
別としてリユース・リサイクルはどうも混同して使用しているきらいがある。たとえば自動車だが、そのまま再使用する中古車の場合は、「リサイクル」ではなく、「リユース(再使用)」となる。
もともと資源の乏しい日本だったので、日本人は物を大事に長く使用する民族だった。ところが大東亜戦争に負けた後、、(それが彼らの策略だったのだが、)アメリカの豊富ですばらしい物質(物量?)文明にすっかり染められてしまい、いつしかドップリと消費文明の中に埋没していったことはご存じの通りである。
ところが1970年代、ご存じオイルショックが(二度にわたって)日本を直撃した。トイレットペーパーがスーパーの棚から消えてパニックになった教訓もあり、加えて急速な工業化の進行で環境汚染が進み、その反省機運が高まったこともあって、世界に先駆けて「脱公害」「省エネ」「リサイクル」意識が定着して、その方面では世界の先端を走っていくことになった。
経済学の基本的理念として、消費を押さえると、当然景気が悪くなるという側面がある。ところが日本の製造業は、いかに購買を増やすかという命題よりもむしろ、「安くて良くて、電力(燃料)消費が少なくて、環境の改善に貢献…」、という面にシフトして社運を懸け、良い製品を次々と開発していった。良い品に目のない日本国民はこうした高性能で、しかも省エネ商品に対して、ついつい財布の口を緩める結果になって行き、世界中で日本製品の優秀性が認められ、浸透していった。
日本製造業の特質は、(トヨダではないが)品質改善能力に定評がある。厳しい規制や目標が定められると、必死にそれをクリアするために努力を重ねる。あの「プロジェクトX」を思い出していただければ、名もなきお父さんたちが、(会社・金銭・名誉ではなく)職人として自分たちの、誇りと意地と「匠の技」を賭けて、血を見るような努力を重ねるのだ。
そうした努力は、生産量の増加に伴って、価格の方もコストダウンを続けていくのだが、これは株主よりも顧客を大切にする、日本的経営がその根底にあるからで、それを忘れて、欧米型ビジネススクール的発想からは決して生まれることがない。昨今問われている企業のモラルハザードの多くは、「日本的モノづくり精神」を忘れてビジネス=利益優先に走った、企業トップのいる会社で生じたものである。
それはさておき、こうした日本における製造マインドは、1つの商品のライフサイクルを、その機種の寿命の数十分の一というタイムスパンで、否応なく陳腐化していくことになった。
熾烈な企業競争もあって、あっという間に新製品が現れ、他の企業もすぐに追随するのが日本の現状だが、ともあれ日本人の感性は、驚くほど素直に新しい製品に飛びついている。たとえば、一年前に買ったデジカメが、その半分以下の価格で、しかも何倍の画素数の優れものが、店頭に並ぶのだ。その結果、日本では「リサイクル」という問題が、他国では想像できないスピードの回転率で発生することになるのだ。
さてそこで、はたして日本におけるこうした技術の進歩と、すぐに新製品に飛びつく日本人の性状が、いいのかそれとも悪いのか、どうも判断に苦しむところである。
私の知人(マツダOB)のKさんは、その技能を買われて中古車再利用の会社の運営に当たっているのだが、ここには国外からのバイヤーが常駐していて、車ごと、あるいは部品の買い付けを行っているのだという。いわゆるリユースとリサイクルが行われており、最終的に1台の車が、ごくわずかなの「シュレッダー・ダスト」になってしまうのだという。
たしか以前聞いた話では、台湾での日本車の中古部品の価格は、その地で造った新品よりも高値で取引されているそうだ。はたして「勿体ない」のか、それとも「有効活用」として、誇るべきなのか、判断に苦しむところである。
そういえば昨今、マイクで「使われなくなった家電やパソコンなどを買い付けます」と流して歩くトラックが出回ってくるが、先日テレビでその行き先の追跡をしていた。集められた(いわゆる)粗大ゴミ?が山と積まれた郊外の巨大倉庫には、たしかナイジェリアからのバイヤーが常駐していて、日本製品の優秀さと、こんな立派なモノをなぜ日本人はゴミとして捨てるのか?」という疑問を口にしていた。
彼が言うのは、「日本の良くて丈夫な製品は、30年でも50年でも持つし、壊れたら修理も出来る。自国では製造できないので、大いに助かっている」ということだが、このことは、リサイクルという事業が、すでに世界中を対象に行われていることに気付くべきことを示唆しているようだ。もし日本人がこうした製品を大切にして、粗大ゴミを出さなかったら、彼の姿もないはずだし、ある意味での文化的生活も味わえなかったことになる。
われわれ日本人にとっては「リサイクル」でも、こうした発展途上国の人にとっては「リユース」である。もし日本人が、かつてのように、モノを大切にいつまでも使用し、無駄な買い換えをしなかったならば、日本の新技術は決して生まれなかっただろうし、開発途上国に日本製品が行き渡らなかったことになろうというものだ。
日本人の「新モノ食い」志向を、贅沢とみるかそれとも技術革新の火種と見るかは、判断の分かれるところだが、視野をグローバルに広げれば、決して眉を顰めることではあるまい。
敬愛する唐津一先生が強調するように、省エネ性に優れ機能も充実した新製品に買い換えることは、我が家で眠っている資源のリサイクルにも貢献することになるのだとすれば、いたずらに財布の口を固くすることを止めて、どしどし家電やIT機器を新製品に置き換えることを進めたい。
なにしろ日本は、景気回復したとはいえ、一般国民の消費はいまだに低いままなのである。日本の国富を借金まみれのアメリカ国民に使い果たされるよりは、自分たちで有意義に使うべきではないだろうか。
また日本で最大の産業は30兆を売り上げるパチンコ業界であり、次いで伸び続ける巨大産業が旅行業である。こうしたことに使うお金の一部を、快適でしかも省エネに貢献できる家庭用機器に振り向けることが、肝要ではないか。
ごく小さいところでは、白熱電灯を「10W 電灯型蛍光灯」に切り替えるだけで、4〜10分の1の電力消費に削減できる。日本だけでなく、 もしこうした日本の省エネグッズが、世界中に普及すれば、それだけでCO2の排出量が容易に半減するだろう。
「リサイクル」から「省エネ」に脱線するところだった。藪睨み「省エネ論」、またの機会に〜。