原爆とぼく − (2) あらためて「原爆」を考える

 平成18年12月22日、ぼく達(旧制)県立広島第二中学校23期同期生の、佐藤文夫君が不帰の客になった。彼はパソコン関連の会社に勤務し、本人もハム(アマチュア無線)の愛好者であったため、(年齢には珍しく)パソコン教室を持つほどの手練れだった。

 彼は自分のホームページを制作し、その中に二中23期同期生のホームページ(以下HPとする)を制作し管理してくれていたのだが、ご子息から彼のHPを削除したいという要望があり、同期会の世話人の間で、「実際われわれの年代ではそれを見ることすら稀なのだが、折角だから文化遺産?として保存しよう」という話になり、だったらその管理を誰にと言うことから、ぼくの名前が挙がったらしい。

 ぼくの場合、HPを管理は出来ても、佐藤君のように新たに制作とか大幅改編という能力はない。結局(見るものがほとんどいないものに)お金を掛けるわけにはいかないこともあって、わがパソコン師匠酒井伸雄さんに無理を言って、(ほんの小遣い銭で)わがHPの余裕のスペースに同居させることになった。

 ところが、あらためてそのHPを見てみると、日本語と英語のページがあり、英語のページには、同期生荒谷勲君による、原爆そして平和記念公園に関する文章があるのだが、肝心の日本語ページがない。そこで彼に確認したところ、実際には(当然だが)元になる本文があることがわかった。

 そこで勝手だが、荒谷君を巻き込んで新HPに、和・英対訳の『原爆とぼくら/A-Bomb and Us』という項目をつくってもらった。彼はぼくが、だんまりを決め、目をふさいでいる間も、平和記念公園で、外国人相手に英語通訳のボランティアを行っていたのだ。それから荒谷君の活躍が始まる。新しく写真を加え、しかも自分の身銭を切ってまで新しいページを書き足したのである。

 二中23期生のHPから、原爆関連のHPへの変身である。自分で出来る範囲の作業は、なんとか自分でこなして新HPに移植していった。ぼくが(今まで避けてきた)「原爆直視」の再出発であった。

  http://joumon-juku.com/23/English/index.html

    * * * * * * * * *

 ぼくは旧東練兵場で被爆したと言った。被爆後背後にある二葉山に逃げ込んで、眠れぬ一夜を過ごした。翌朝広島市のすべてが消え失せ、放射能が充満する街中を通って、市内の西にある我が家へと歩いて帰った。それでも生き残ったことを、当時は不思議とも何とも思わなかった。

 年が過ぎ、ある時中村憲二氏という風水研究家の、「広島と風水」という講演を聴く機会があった。彼によると、広島は風水でいえば、素晴らしい土地だということであった。かつて毛利輝元は、太田川という蛇行した竜の流れのエネルギーが流出するところに築城した。広島城、別名鯉城である。その地を守護する霊地こそ、東北鬼門の地にある二葉山だというのだ。この地には、(当然だが)多くの神社仏閣が、広島を守るために建立されている。

 その時急に、「虚弱で大病ばかりするぼくが、なぜか原爆症にも罹らず、今に生き延びているのは、この二葉山の持つ霊気に守られているためではないか」という思いにとらわれたことがあった。当然こんな話をすれば、嗤われのが落ちである。当時はまだそんな時代だった。

 同時に、多くの人たちの犠牲によってぼくは、「生かされている」のだという感慨にとらわれることになった。しかしその与えられた「生命(いのち)」を、自分なりの形で生きようという思いはあれ、「原爆を語る」という思いには至らなかった。

 さて、昨年のことだが、酒井パソコン師匠が、「二葉山を守る会」という会に入っており、そのHPを作成・管理しているという。なんでも今二葉山は、乱開発にさらされ、、しかもトンネルを掘る計画まであるらしい。二中23期のHPから「東練兵場・二葉山」との関わりを知り、ぼくの体験談を、「二葉山と私」というページに掲載して欲しいと言い出した。そこで書いたのが、「二葉山の霊気に守られて」という一文である。

「二葉山を守る会」
  http://futabayama.com/

「二葉山の霊気に守られて」 
  http://futabayama.com/futabayama$i/nakamura.html

 風水研究家中村憲二氏によると、二葉山はヒロシマの霊地と言うだけに止まらず、世界の霊地なのだという。これは取りも直さず、ヒロシマこそ世界の霊地である、その最高のスピリチュアル・スポットが「二葉山」だということになる。

 だからこそ廣島は、「原爆」という地獄の業火によって焦土と化した後、10万人余の尊い命と引き替えに、世界中にその存在を知られ、トウキョー・キョートと並ぶ知名度と、80年間草木も生えぬと言われながら、緑したたる100万都市になって甦った。
これは今やヒロシマが、世界の霊地となったことを意味しているのではないか。

 ごく最近深いご縁があって、広大大学院の町田宗鳳師と面識を得ることになった。師は破天荒な経歴を持つ比較宗教学者であり、ぼくは「仏教者・(あるいは)仏道者」と捉えているのだが、師の著書から多くを学ばして頂いたし、引用や援用をさせて頂いてもいる。

 師の著書『人類は「宗教」に勝てるか』の、「第六章 ヒロシマはキリストである」という箇所に(数年前なら感じなかったであろう)大きな衝撃を受けた。しかもここには、ぼくが常々口にしてきた「一神教の破綻と、多神教への期待」が取り上げられている。

 案外ヒロシマには、「風水」という迷信ぽい思想と、新しい宗教観との邂逅、それに
「日本特有の木造家屋が、炭になり灰になって、あの放射能さえ吸収し、ケガレチをイヤシロチにしていったのでは」という、極端な発想さえ浮かんできたのである。

 少しずつ何かに導かれるように、「原爆とぼく」のページが開かれ始めたことを感じ始めることになった。

    * * * * * * * * *

 いま気違い国家北朝鮮が、核弾頭付きミサイルの研究に没頭し、チャイナは、多数ミサイルの照準を日本に合わせている。そんな時イラン・イラクへの対応に追われているアメリカが、本当に日本を護ってくれるのか、という危惧が頭から離れず、内心(核論議のみに止まらず)「核武装もやむなし」という考えが妥当だと考えるようになっていた。

 ただ縄文塾HPでも、電子書籍集HP“キャッスルゲイト”でも、『縄文に発する平和』を口にし、記述しながら、現実とのギャップに悩んできたのだが、欧米あるいはユーラシア大陸全般を覆う、「目には目 歯には歯」という、報復・復讐を繰り返し続けてきた「負の連鎖」のままで、あるいは「核によるバランス・オヴ・パワー」の延長の中に、真の平和が訪れるのかという疑問に常にさいなまれてきた経緯がある。

 最近「日本には、それぞれ世界で大きなシェアを占めている中小企業が数多くある」と、いくつも社名を上げて紹介している書籍、『日本のものづくりは世界一』(唐津一)に出会った。

 この本のお陰で、それらの工場が日本各地に散らばり、それに加えて、同じく大きな世界シェアを持つ大企業の工場群を加えると、「日本のどこを攻撃しても、世界中の製造業に甚大な被害をもたらすではないか」ということに気付いたのである。なにも工場だけではない。道路にしろ発電所にしろ、港湾にしろ、日本の製造業をストップさせるという行為は、世界中の非難の集中砲火をあびることになるではないか。

 そうした日本を攻撃して、重要な製品の供給が絶たれたら、世界中の非難が攻撃者に集中するだろう。もちろん「だったら非武装でいいのか」という飛躍的な発想は当然廃すべきだが、「世界のすべての国は、軍需で進化した技術を、民需に払い下げていった」のに対して、日本においては常に「民需のみで技術を進化させていった」のである。

 こうした誇るべき日本の財産を、胸を張って世界中に発信させることで、核に代わる抑止力、いわば「安全保障」にすること、そして可能な限り「平和の技術移転」を国策とすべきではないか、という考えに行き着いたのである。

 この裏付けとして、まず11年前の阪神大震災の際、たしか半導体部品(エポキシ樹脂?)の工場が被災して、世界中にパニックを起こしたという先例があり、今回の新潟中越沖地震では、自動車部品の大手リケンの被災によって、ピストンリングの製造がストップし、トヨダ他全自動社メーカーの工場がストップしてしまった。リケンの場合も一カ所集中という、自動車メーカーのカンバン方式という無在庫方針のための危機管理姿勢に問題があったが、裏を返せば、その重要性を安全戦略として活かすべきではないか。

もちろんここで、荒唐無稽な「非武装中立論」を持ち出すつもりはない。ブラフにたじろぐ外交姿勢も避けねばならない。
このあたり、詳しくは、電子書籍集HP“キャッスルゲイト” http://joumon-juku.jp/ より、以下参照下さい。

  『葬送曲“日本海洋国論”より、
◎主題のための序章  日本は本当に海洋国か?
  http://joumon-juku.jp/kaiyou/index.html
◎第5章  古典的地政学の陳腐化と日本の対策
  http://joumon-juku.jp/kaiyou/05.html
  
 『平和に発した日本技術論』より、
  http://joumon-juku.jp/gijyutu/index.html
◎第2章  平和に根ざした日本の文化とは〜
  http://joumon-juku.jp/gijyutu/02.html

    * * * * * * * * *

 今年の7月8日(日)、(詳しい事情は省略するが)『主語を抹殺した男“評伝 三上章”』の著者、カナダ・モントリオール大学金谷 武洋教授が、三上章の墓参(安芸高田市甲田町甲立)に来広される機会に講演会を開くことになった。

 その少し前だが、この本を読んだすぐ後、某メルマガの読者欄で、広島平和記念公園の、「原爆死没者慰霊碑」の碑文に主語がないのだが、本当の意味はどうだろう」という文章が載っていた。

 前記荒谷勲くんに確認したところ早速、碑文は、

 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
であり、それを英訳文は、(当然主語を伴った)

Let all the souls here rest in peace,
For we shall not repeat the evil.

 だと教えてくれた。もちろん碑文には英訳文は書かれていない。この英文は、通訳に当たってのテキス用だそうだが、主語の「我々」についての説明は2通りあって、
(1)誰がというのは、人類みんなを指している。
    "We" in the inscription means all humankind.
(2) これはすべての人々が世界平和に実現を誓う言葉として書かれた。

 と言うことだった。

 荒谷君曰く、(平和公園で)英語で通訳ボランティアする際、この碑文の日本文を紹介すると、決まって「誰が?」と問われ、英訳文を紹介すると、今度は「なぜ(われわれなのか)?」と反問され、その度に答えに窮するのだと言う。

 さて、金谷 武洋さんが、は講演の締め括りとして語られたのは、この(主語不在の)碑文についてであった。


 「(被害者でありながら)非道な行為に対して恨みや復讐の念を一切持たず、こうした悲惨な行為や経験を、世界中の誰もが、2度と繰り返してはならないという表現は、日本語という「主語を持たぬ言語」だからこそ初めて出来ることであり、且つ日本人のみの持つ崇高な祈念の表意なのだ」

 というものであった。この言葉は一種の啓示となって、ぼくに日本そして日本語への誇りと愛着をより強くさせてくれたのである。

    * * * * * * * * *

 さて問題はこの後である。老齢で虚弱で先の短いぼくに、一体何が出来るというのか。
「気負い」だけで前に進むものではない。多くの方の知恵と行動力に頼って行くしかないのだ。諸賢のご協力を乞うや切。


前へ目次へホームへ次へ