日本の農作物を世界に輸出
     ── まず芸術的作品「果物」から始めよう!


 「動物(家畜)の改良はイギリス 植物(農作物・観賞用植物など)の改良は日本」という定評がある。たとえばイギリスですが、競馬用のサラブレッドとか、目的別のイヌの改良では他の追随を許さない。世界中で飼育されている家畜や家禽の基礎種のほとんどは、イギリスで作出されたものである。

たとえば、私たちが何のためらいもなく「和牛」と呼んでいる世界に冠たる肉用牛も、かつて日本で飼育されていた役用牛にイギリス出自の肉用牛を、気長に交配して作出されたものである。もちろんこうした試行錯誤が伴う動物の改良には、大きな金額と長い時間が掛かるが、イギリスではかつての封建諸侯や貴族が、名誉をかけて取り組んできた。

 その点植物の改良は、主として1年という短いライフサイクルで改良が進むもので、実生のほかに挿し木・接ぎ木などのローコストで済む園芸にしても、根気と感性がものを言う「盆栽」にしても、いずれも「理論の前に実行」という方法として、日本人の十八番(おはこ)・お家芸といわれてきました。

 しかも日本人の「よりよいものを追求する」という姿勢のお蔭で、世界でも類のない程すばらしい成果を上げてきた。たとえば江戸時代大流行した朝顔だが、今ではその復元が不可能というほどの予想もされない多くの変種を生んだし、イネにしてもすでに江戸時代には、実に二千種という多種多様な品種があったといわれている。

江戸時代の俳句に「菊づくり 汝(なんじ)は菊の 奴(やっこ)かな」というのがある。なにしろ1枚の枯れ葉も許さらないというストイックな努力が、日本の植物改良の礎となっているのだが、ここには日本人の美意識と芸術的とも言える感性が見て取れるではないか。

 文字通り寝食を忘れて改良に取り組み、しかも我が子供のように「手塩に掛けて」育て上げた、世界中どこにも見られない珠玉の成果が日本のフルーツである。産地間や他のフルーツとの競争の末作出されたれた新製品誕生秘話がNHKの「プロジェクトX」でも取り上げられているが、こうした超絶美味の果物や果実を、日本人だけのものにしておくのは実に「勿体ない」ことであり、広く世界の人に享受して貰うことを願うばかりである。

 まずブドウ。口にすれば軽い酸味と甘い果汁がほとばしる、あの美しいグリーンの大粒なマスカットそして濃い紫色のピオーネ、繊細な味わいと色合いの、大きな宝石のようなイチゴ。一本の茎から一本しか収穫しないという、とろける甘さのマスクド・メロン。信じられないほどの大きさと肌触りと色合いの水蜜桃・白桃。サクサクといた噛みごたえとジューシーさのほとばしる二十世紀・新世紀ナシ。果実の王様リンゴでは果肉にしっとりと蜜をたたえたフジ。一粒一粒磨き上げた宝石サクランボの佐藤錦。剥きやすい柔らかい皮と甘酸っぱい果汁が至福の味ミカン…。

誠に陳腐な修辞だが、「いずれがアヤメ カキツバタ」こうした究極の味を世界の人に味わって欲しい。しかもそうした絶妙の味は果物・果実に限ったことではない。コシヒカリ・アキタコマチに代表されるお米であり、芸術的な霜降り肉の和牛であり、淡麗あるいは芳醇、上品でこまやかな味わいの日本酒である。そのいずれも、精緻な技術と伝統にに裏打ちされた日本農業と伝統技術の所産なのだ。

もちろん輸出先においても、そうした幸せに浴する人はやはりお金持ちになる。そのターゲットとしてもっとも有望なのは、日本のエネルギーの90%を担う中東産油国の王族であり、お金持ちである。こうした日本の味覚の最先端に接した彼らには、日本に対する畏敬と友愛の思いが一層募ることだろう。

 こうした日本文化の成果をそれぞれ別途に供給することは無理であって、しかも砂漠に覆われた酷暑の地帯ともなれば、品質保持を始め、そこには当然一貫した計画を実施するための流通を中心とした販売組織の構築が不可欠で、農水省・外務省・経済産業省の強力なバックアップを武器に、専門商社あるいは総合商社の出番である。もし作物だけの輸出が困難であれば、当然それを保管し且つ販売する超高級スーパーマーケットとドッキングしての進出まで視野に入れるべきであろう。

 ではついでに野菜もという要求が出るかもしれない。その場合は砂漠に中に(日照量を武器とした)太陽光発電プラントとドッキングした農場を建設しよう。2m以上の高さに一定間隔で(最低限の)日光照射のための空間を持った、太陽光パネルを設置する。もちろんその下が農園になる。

 ます太陽光で生まれた電力で水素を造り水を生成する。その水は太陽光パネルの洗浄と、農場の点滴栽培の水源になる。必要であれば当初水溶性栄養分を付加するが、その後は作物残滓を鋤き込んで地味を豊かにしていけばよい。周囲には防風林の植林を並行して行う。別途は栽培条件によって水耕栽培も視野に入れればよい。

かくして日本の農産物が、中東の地に根付いていけばしめたものだ。この仕組みはなにも中東に限ったことではなく、チャイナにしてもその他日本の食の素晴らしさを希求する国々に、きっと根付いていくことだろう。また太陽光農園に限れば、砂漠地帯の救済に大いに貢献できるだろう。

場合によってはODAの援助で、砂漠地帯での緑化作戦のノウハウを構築することも含め、日本からの技術者や農業経験者の進出も考えられるではないか。

たとえばこうした発想に対して、「一部のお金持ちにだけのためではないのか」「世界中で多くに人が飢えているのに、なぜ金満家をターゲットにした農業なのか」という批判や疑義もでるだろう。しかしながら今日本では高齢者だけが棲んでいて、早晩消滅の運命にある「限界集落」が増え続けている。

これは育成・振興よりも保護政策に、しかも「コメづくり」に特化した、稚拙な日本農政のもたらした不幸な結果ともいえるが、こうした疲弊のどん底にある農村を立ち直らせ、いささかでも食料自給率の向上と、自立農家の養成のために、前途に光明をもたらす適切な手段ではないだろうか。

いずれにしても、日本の持つ最大の長所をいたずらに眠ったままにして、食糧自給率の低さを嘆くのことから一日も早く脱却しなければならない。口でいくらきれいなことを言っても、今後ますますFTAなど、農業自由化の流れは益々激しくなってくる中で、農村が無くなっては国が成り立たないではないか。

そうした時、価格競争の枠外にある日本農業の高級果実・果物(あるいは牛肉・高級米)への特化は、今までかたくなに門戸を閉ざしてきた日本の農業文化の解放にも繋がるものと言えるのではないだろうか。

 最後に一言、「美しい自然に恵まれた国は、美しい心根の人たちを生み、
美しい心根の人たちは美しい草花を育て、美しい果実を実らす」


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