緑保全のための試案 ・・・ 植樹トラスト (2)


★ はじめに
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 前回分の発信語、熱心な購読Wさんより、『休耕田の利用に一言』として、「食料や飼料やバイオ燃料となる植物がよろしいかと考えます」というコメントをいただいた。

 たしかに説明不足だったことは否めないが、ここでは、充分に耕作地として利用し活用できるような農地ではなく、「耕作に当たって、労あって収穫がそれに伴わないような場所」、ケモノたちの棲み家を奪った場所、今は疲弊したかつての里山だった場所などを対象にしているものとご理解いただきたい。

 ぜひ上記米島さんの論文を参考戴きたい。また出来れば稿を改め、減反政策で休耕田となった農地の活用についての一考察も記載してみたい。また読者各位にも、いろんな試案も提示いただければと思っている。


★ムラとマチの接点機能 
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 ムラを捨てる人があれば、マチに失望して山や田園に生きがいを見出だそうとする人たちだっている。農村という弥生の依代が瓦解した今、彼らはこうした運動の強力な助っ人としての活躍が期待される。そうした新田舎人・新縄文人こそ日本の森林、そして農業の未来にも大きな貢献を示す人たちとして大いに期待したい。

 また言い換えると、この「植樹トラスト・プラン」は里山復活のシナリオでもある。里山を構成する雑木林は、マツ・コナラ・クヌギ・ウバメガシ・クリなどといった陽樹(陽性木)で、10~15年サイクルで伐採すると、切り株から新しい幹が再生する。

 高田公理『日本の智恵』は、『里山──人工の世界と大自然を分けながらつなぐ「縁側」空間』だとして、
やおよろずの神々(神・動物・人の集う)里山復活に期待をかける。

 「植樹トラスト・プラン」における植林ボランティアや樹木オーナーは、里山復活によって自然の緑と農村の人たちとの接触の機会をふやし、自分の樹木の成長を楽しむことが出来、実った果実を味わうことが出来る。勿論山の動物たちにも分け与えることになる。

 伐った木で家族や友人それに地元の人との、シイタケや炭つくり、そしてキャンプファイアーを楽しむことだって出来る。 いままでムラは、よそ者の侵入をかたくなに拒んできた結果、「コメ文化」とは名ばかりの疲弊した集落に成り果ててしまった。

 これからは、やはり人と人の接点としての「場」という視点と仕組みづくりが肝要である。いまや疲弊し硬直した弥生に代わって、新しいムラづくり・モリづくり、自由な発想を持った「縄文の血」の導入が必要なのである。

 たとえば、今までオートキャンプ場と言えば、ただマチの人とムラという土地の接点でしかなかった。これからは森と田圃と畑と、それを守り育む人たちと、かぎりなくそうした環境にあこがれいつくしむ「マチの民との交流の場」とするための、新しい発想と取り組みを考えなければならない。

 里山や新しい森の復活は、源の確保・保持とともに腐葉土によって地味を肥やし、このフィルターを通った水は水田を潤おし、プランクトンを増やし、遂には沿海の魚介類を養うことになる。また間伐材を中心にした余剰森林資源は、無公害の「バイオマス」燃料という新しいエネルギー源として、新たにクローズアップされるだろう。

 そうしたプランの一環として、衰弱を極めるスギ・ヒノキの単一林の間伐と合わせて、その隙間に陰樹としてブナやナラ、シイ・カシ・タブなどの植林を行い、実ったドングリを森のケモノに提供するのだ。


★略奪から循環への回帰 
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 なんでも日本人は、食料の20%を生ゴミとして出しているという。槌田敦『エコロジー神話の功罪』は、プラスティックや工業廃棄物と違って自然のなかで分解出来る生ゴミは、自然の循環の中に還元すればいいと言い切る。

 たとえばヒグマが食べ残しのサケを森に捨ててそれがキツネなど腐肉処理班によって食べられて糞になり、あるいはそのまま虫やダニ・バクテリアによって分解されて森の土を肥沃にするように、生ゴミの処理に多大なコストやエネルギーを掛けるのではなく、放し飼いのニワトリのエサにでもすればいいのだという。

そうすれば余りはカラスが処理するので、都市からカラスが引っ越してくるというのだ。また池にまけば魚や貝がとれる。ありていに言えばこれも一種の「地産地消」ということになろう。槌田は、それでも余れば山に撒けばいいという。木々が育つしカラスやクマ、それにイノシシやサルが喜ぶ。

 さてではどうやって山に撒くか。筆者の私案を付け加えれば、幾つかの町村が共同して(高価な処理場をつくる代わりにその費用で)ヘリを購入し、トランス(輸送用)バッグに詰めてつり下げ、周囲の山々に空から散布すればいい。ヘリは森林消火に、加えてドクター・ヘリとして急病人の運搬に利用するのだ。共同町村一括の総合病院設置にまで進めば、あながち荒唐無稽なプランでもないだろう。


★「農」と「林」、足もとからの改革を 
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 現在日本人ボランティアやNPO団体が、チャイナを中心に熱心に植林活動を行っている。それ自体良いことには違いない。ただお互い横の連携をはかるという発想がないため樹種の選定や管理の指導など、必ずしも大きな成果を上げているとは言い難い。

 日本人の欠点として、少しでも意見が違ってくると、すぐに分裂してしまう傾向がある。つまり「小異を捨てて大同につく」性状に欠けている。そのためには細則を設けることなく、自由裁量の振るえる余地を大きくすることと、気長に根気よく農民と付き合っていく必要がある。

 勿論農村サイドでも、排他主義は廃して、今後はムラの未来にマチの人を巻き込まなければならない。正しい理念と熱心な取り組みさえあれば、マチの民は諸手を挙げて参加するだろう。このような森と田畑との接点の改善は、次第にいわゆる山林の手入れに拡がっていくことになるはずだ。そうした運動を通じて、「新しい日本の森」がわれわれの子孫への大きな遺産となることを心から念じたい。 

 しかも植樹トラストの普及によって生まれるノウハウの蓄積は、厳しい人員・業務削減の求められている林野庁職員の新しい生きる道を提供することになるだろう。しかも彼らや森林ボランティアが、日本の森だけにとどまらず、海外での植林活動に従事する仕組みを構築することで、ODA・NPOなどを通じて世界の緑化運動に大いに役立つ組織の中心になっていくことになれば、これに過ぎるなにものもない。

 日本の森林カヴァー率は67%と、先進国中ダントツであるが、その内訳を見ると決して褒められたものではない。ここで提示した「植樹トラスト・プランが、今までの農林施策では解決出来なかった森林管理の突破口に繋がればそれに越したことはない。

 甦った「新人工的天然林」と、かつての森の盟主オオカミを頂点とした「新しい日本森林生態系」の復活が、真の森林王国へのゴールになるだろう。そうした努力の課程で得た知識や知恵が、世界の森の再生に大きく貢献することだろう。

 世界の未来はすべて、日本の森復活にかかっているのだ。


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