マスコミの品格

 藤原正彦の『国家の品格』が260万部という大ヒット以来、いわゆる「品格本」が目白押しで、200万部を売ったという板東真理子の『女性の品格』や、ドラマ『ハケンの品格』のように大きな話題を呼んだものも少なくない。他に『会社の~』『日本人の~』『自分の~』など、「柳の下の(何匹もの)ドジョウ」もそれなりに売れているらしい。

 先日広島で金美麗さんの講演会があったので、彼女の歯切れのいい話を聞きにいったのだが、その際「出版社のたっての依頼を断れなくて…」と、いささか彼女にしては歯切れの悪い弁解?のあった『政治家の品格 有権者の品格』という本を買い求めた。

 巻末近くに政治評論家三宅久之氏との対談があって、そこでに「いかにマスコミが胡散臭いか」が歯に衣着せぬご両人によって述べられている。

 そこであらためて『マスコミの品格』について取上げることにした。
折角なので同書からの引用を披露すると、

 「拉致被害者の集会で、参加者全員が頭を下げているときに、某社の記者が「安倍さん」と声を掛けた。すかざず頭を上げた安倍さんの写真を撮った。「みんな頭を下げているときに安倍さんだけは頭を上げていた」と思わす仕掛けだ。

 この画像を見た記憶がないのでなんともコメントし難いが、事実だとすればなんたる姑息で陰湿な行為だろうか。これが「公器」と自称するマスコミの真の顔である。

 安倍さんにしても福田さんにしても、意識して悪意の報道を行い、それで「政権を投げ出すのは無責任」という非難を集中するのがマスコミの常套手段と言うことになる。

 福田さんの辞任会見で、「貴方とは違うんです!」という、今年のベストベスト一言を引き出したのは、わが地元の中国新聞の記者だそうな。考えようでは功労者かもしれないが、いやしくも一国総理の引き際に当たって、「武士の情け的品格」である「惻隠(そくいん)の情」に欠けていることは否定できない。

 なにしろ新総理誕生の記者会見で、その決意、政策や理念を問う代わりに、バカの一つ覚えのようにいつも「靖国参拝」を問う記者(会社)がいる。彼らの真意は、いくら良い政治をしても「靖国」という踏み絵を避ける者は決して許せないという不可解な思い入れである。

 いまやマスコミの力は、国家権力さえも左右しかねない強力なものになっている。それを自覚して責任ある言動を取らない限り、この国の未来は危うい。

 ご記憶の方も多いと思うが、むかし久米宏のニュースステーションで、サクラの開花情報などを伝える素人っぽいおじさんがいた。他の番組にも出てそれなりに人気があった。

 ところがしばらくして、テレビ画面から消え去ってしまったのだが、あるとき広島で、そのおじさんの講演会があるというので聴きに行ったことがある。内容は久米宏に対する恨みつらみと、テレビのえげつない「やらせ」の暴露である。

 個人的な恨みの内容は忘れてしまったが、「やらせ」の方は一つだけ記憶がある。その当時都内の電車で、ラッシュ時に座椅子を畳んで全員が立って乗る事で混み合いを解消しようという試みがなされた。

 さて現在も残っているかどうか、そのアンケート調査をそのおじさんが仰せつかったのだが、多くの回答はそのアイデアに好意的だったのだが、会社ではみんなが賛成では面白くない、ということで再度調査したのだが、ほんの少数の「それは不便だ」という答えが採用されてテレビで流されたのだという。

 ことほど左様に、マスコミのおかしさを痛罵したのだが、こうまで内情を暴露させたら、他のテレビ局も救いの手を伸ばせない。結局そのおじさんは消えてしまい、いささかも傷のつかないマスコミが幅をきかしているのが現状である。それこそ「マスコミの品格」を問えばキリがないのだが、折角だからもう少し例を挙げてみよう。

 「持ち上げておいて、非を見つけると思い切り叩く」

 自分で「六本木族」などという言葉をつくり、「勝ち組・負け組」という仕分けをしておいて、ホリエモン騒動でおわかりのように、持上げるだけ持ち上げておきながら、一旦失敗や破綻をすると、今度は徹底して叩き上げるのだ。

 村上ファンドしかりコムスンしかり、駅前慰留学のNOVAしかり.……。事業には当然栄枯盛衰があるのだが、グローバリゼーションの波に乗って急速に業績を伸ばしたいわば虚業を、「勝ち組」と持上げてきたマスコミ主導の風潮は、日本の若者に悪い影響を与えたと謂わざるを得ない。


★アイドルのでっち上げ

 もう一つ気になるのは、アイドルのでっち上げである。特にルックスのいいスポーツ選手を褒めそやし持上げて、その後の成績が低くても、それ以上の成績の人たちに倍する露出度で報道する姿勢はまるでフェアではない。下手をすると、陰で陰湿なイジメを生む温床になる危険さえ生じるだろう。

 オリンピックでいい成績を取ったとなれば、それまで無視してきたフェンシングの試合でも、わざわざ田舎まで、100名という取材陣を送るという、まさに気違い
沙汰の大はしゃぎである。

 もっともこれはスポーツだけでなく、音楽界でも美女であれば実力はなくても大きく取上げる傾向があることは周知の通りだ。


★馬鹿タレの安直な使用

 どうにもいただけないのが、裸になるしか能のない、あるいは顔をゆがめて奇声を上げる、ただむやみに食べまくる、といった馬鹿タレの安直な使用である。安いギャラで使えるからとしたら、あまりに品位に欠ける愚行だといわねばなるまい。

 もっともそうした画像を安直に使用するスポンサーもスポンサーだが、彼らを見て喜ぶような低俗な視聴者が、コマーシャルの対象だとすれば、その企業の将来も危ういものだ。


 最後になるが、マスコミ最大の罪は、視聴者への迎合と国民総白痴化番組の垂れ流しである。

 金美齢さんも指摘しているが、民主主義という「選挙によって選良が選ばれる」という仕組みの場合、政治家がどうしても民衆に阿(おもね)るという「衆愚政治」の仕組みの中で、マスコミが一層ポピュリズムを助長する役割を担っている。

 政治家の本分は、当然日本という国の安寧と発展、それに周囲の国々とのよりよい関係を維持すると共に、国益を最優先すべきだが、今の民主主義という構造においては、むしろ国民の福祉厚生面に最大の配慮をする事になる。

 誰だって今の生活に満足しているかと問われれば、不平の一つや二つは述べるだろう。それを根拠に政治の不備を衝くのがマスコミの使命と錯覚しているようだ。

 問題はマスコミが、こうした風潮が招くマイナス要素の認識と、自らの力を自覚した上で、常に自らを戒め、謙虚な心で報道を行なうこと、すなわち「マスコミの品格」を保つ努力を自らに課する努力が肝要なのだが、はたしてそうした自浄作用が今のマスコミに残されているのか。

 所詮現状では、「夢の又夢」といったところだろう。


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