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森と人の地球史

ホモ・イノヴェーティス論 ・・・ 技術革新がヒトを人にした

それは進化なのか それとも進歩か?

 これは大きな疑問なのだが、我々の脳の大きさが、ホモ・サピエンスのスタート以来まったく変わっていないにもかかわらず、次々と新しい発明や発見をしている。このことは果たして進化(evolution)なのか、それとも進歩(progression)なのだろうか。

 たとえば、ニューギニアのフウチョウ(極楽鳥)に見られる色や飾り羽根の過剰なほど豊富なヴァリエーション、華美極まりないクジャク(孔雀)の尾羽根、色と模様の乱舞する熱帯魚、あるいはマンドリルのオスの過剰なデザインなど──たとえそれがメスを惹き付けるものだとしても──進化とか進歩というよりは,むしろ分化(specialization)あるいは(形態の)変異(variation)とよぶべきであって、ダーウィンによる適者生存とか雌雄淘汰という枠組みだけでは決して語れるものではない。.
 


 あるいは、ある種の昆虫や爬虫類に見られる驚くほど巧妙な擬態(mimicry)とか、補食者を欺く保護色(cryptic color)、身を守るための毒など、いったい彼らのどの部分の機能によってなされるのだろうか。擬態の対象をどのように認知し、どのくらいの時間をかけて完成するのだろうか。これらの能力もまた進化と呼ぶのか、やはり分化あるいは変態とすべきだろうか。いずれにしろわれわれは、「進化」という言葉を軽々しく使い過ぎるようだ。



 ヒトが獲得した1400ccという脳髄のサイズは、すでに限界にまで達しているのだと学者は指摘する。だとすれば、脳のサイズを増やさぬまま次々とあたらしいものを生み出す能力をわれわれは単純に進化と呼んでいいのだろうか。それでもなお突然変異によって脳が大きくなるという事態が生じたならば、必然的に脳の容器である頭蓋骨が薄くなって、わずかなショックで破損してしまうことになるだろう。それを避けるためには一層身体を大きくするか、より早産になるかという道を選ぶことになる。

 それはそれとして、われわれはホモ・サピエンスとしてスタートした当初から、拡大を停止した脳のままで倦むことなく新しい技術革新の所産である発明や発見を行ってきたのだが、700万年とも500万年ともいわれる長大なヒトの流れの中で、20あまりの支流に分かれたヒト属が、私たちの系譜を残してすべて滅んでいったのに、なぜかホモ・サピエンスというわれわれの一支流だけが生き残り、そうした能力を克ち取ることが出来なぜ高度の技術革新という武器を手にすることで生き延びてこられたのだろうか。

 「ヒト 人になる」という進化の過程において、最初の物的技術革新は石器の製造である。猿人とよばれたアウストラロピテクス属などの段階では、適当なサイズと形の石を持ち運んだり使用したりすることがあっても、まだ作ることは出来なかったようだ。初期の原人であるホモ・ハビリスによるオルドヴァン石器だが,250万年前の同じタイプの石器がエチオピアで見つかっており結局このオルドヴァン石器は、じつに100万年の間さしたる進歩のあとがみられなかった。

 またフランスで発掘された後期原人ホモ・エレクトゥスの作ったとされる150万年前のアシューリアン石器もまた、さしたる改善が見られぬまま130万年の間使われてきたという。おなじく中期旧石器時代に属するネアンデルタール人のムステリアン石器でさえも、彼らの生息した30万年の間、はかばかしい進歩のあとを示していないのだ。

 それぞれ石器の進歩が停滞していた期間,彼らの脳のサイズは徐々に拡大していったのか、それとも元のままのサイズにとどまっていたのかはつまびらかではないが、彼らの生息した期間では充分環境に適応してきたはずである。おそらく彼らは、きびしい環境の変化に直面して、なす術なく滅んで行ったものと、危機をバネにしてなんとかあたらしい技術革新によって、新しい環境に適応して生き残れたものとに分かれていったに違いない。

 結局ハンドテクノロジーの目をみはるような発達は、ネアンデルタール人に次ぐ後期旧石器時代のホモ・サピエンスに到ってようやく開花することになるのだが、しかもそれは脳のサイズが変わらぬまま起きたのである。たとえばネアンデルタール人の脳は1400ccのわれわれ現代人のそれをむしろ上回るくらいでありながら、質的に劣っていたのかその脳をさして使うことなく滅んでしまう。

 いったい我々の脳に何が起きたのだろうか。このように考えてくると、脳のサイズの拡大に応じて道具が改善されていった場合は、たしかに「進化」と呼べるかもしれないが,脳のサイズに関係なく道具が改善され発展していったとしたら、これは「進化」ではなくむしろ「進歩」と捉えるべきではないのか。たとえば指導者を失った古代エジプトの人たちとか、遭難して無人島での生活を余儀なくされた人たちは、それまで享受してきた文明とは無縁の生活を送らなければならなくなることを考えて欲しい。

 われわれ人類は、みずからをサル族=霊長類の頂点に位置するとしている。ところが霊長類のなかで最も進んだ種である「類人猿」にしても、いまや絶滅の危機にあるばかりか、同じヒト属のジャワ原人や北京原人、それにあのネアンデルタール人さえも絶滅してしまったではないか。進化することが決して繁栄することには結びつかないことを考えれば、われわれはいま、この「進化」という言葉の意味をあらためて考え直す必要があるようだ。

 この「ヒト 人になる」という大きな革新を、伊藤俊太郎『比較革命』は、「人類革命」と名付けている。氏はこの革命を「ひろい意味での猿(エイプ)から人間になったその変換を意味する」というのだが、実際にわれわれの先祖がそれを成し遂げるには,実に20種に余りある親類筋にあたる、ヒト上科・ヒト亜属の絶滅を担保にしなければならなかったのである。

 われわれ人類のもつ技術の根源をたどれば,(石器にしろ火の使用にしろ)わずかとはいえ彼ら先人たちの置き土産をテコにし、かれらが長大な時を費やして会得したイノヴェーションを踏み台にしてきたことに違いはないのだが、その遅々たる歩みがこのホモ.サピエンスの時代になってようやく大きく花開いたのである。

注 石器の進化 
オルドヴァン石器 : ルイス・リーキー、メアリー・リーキー夫妻が180万年にタンザニアのオルドヴァイ渓谷で見つけた、小石を割って角を尖らせた石器。320万年前から150万年前まで170万年の間、ほとんど進歩の跡がみられなかった。

アシューリアン石器 : 19世紀に北フランスのサン・タシュール遺跡で発掘された、ヨーロッパ最古の石器。両面加工を施したハンドアッックス(石斧)型と、定型加工したクリーヴァーというタイプがある。起源は東アフリカで、150万年前に出現して、20万年前まで使用されている。

ムステリアン石器 : フランス、ドルドニュー地方のル・ムスティエ遺跡で、 20万年前のネアンデルタール人の骨とともに発見された。30万年前から3万年前まで制作されている。
  <以上『ネアンデルタールと現代人』河合信和他より>


<石器の進化と『平行断絶説』>
 リチャード・G・クライン『5万年前に人類に何が起きたか?』は、石器の進化にスティーヴン・グールドの『断絶平衡説』を適用して、それぞれ次世代石器の出現に及び脳の拡大にそれぞれ100万年以上、あるいは30万年を費やしたとしている。

 彼はこうしたサルからヒトへの過程で起きた5つの事件を進化の証明として取り上げている。
1.700〜500万年前   サルからヒトへの道を歩んだ
2.300〜200万年前   初めて石器を作った
3.180〜170万年前   脳は小さいがそれ以外紛れもないヒトが出現した 
4.60万年前        突然脳が拡大した(言語発展の第一歩)
5.5万年前        現在の人類の基礎が固まった

注 人類革命 
伊藤俊太郎は人類の成し遂げた革命として、次の5つを挙げている
『人類革命(Anthropological Revolution)』『農業革命(Agricultural Revolution)』『都市革命 (Urban Revolut)』『精神革命(Spiritual revolution)』『科学革命(Scientific Revolution)


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