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竪穴住居とは−1
前回までで、縄文人は早くから定住していたということは、ご理解できたことでしょう。だはどんな家に棲んでいたのでしょう。ほとんどご存じと思いますが、それが「竪穴住居」なのです。
日本でもっとも古い竪穴住居は、現在までのところ、鹿児島の上野原遺跡の約9500年前のものが最古です。上野原遺跡はその後の火山大爆発で埋まり、約7000年後に再び集落が造られます。9500年前の遺跡は、全くの定住でなく、一定期間棲むキャンプだったのではと推測されていますが、いずれにしろ世界的に見ても日本という国の「住環境」のすばらしさがわかるでしょう。
よく遺跡の復元で、三角形の低い茅葺き屋根を持つ住居が見られますが、地面を(30cm〜1m)ほど掘り下げて内部の空間を広くする方式です。当時の集落は、多くても10世帯くらいですから、小さな石器程度の道具で掘り下げることは長い時間と大きな作業量がいりました。
集落のものが協力して1ヶ月は掛かっただろうといわれています。
こんなに手間の掛かる作業をすることは、すぐに移動しないすなわち「定住生活」をした大きな証拠になります。
この竪穴住居は、実は平安時代、いや室町時代いやもっと後、江戸時代の農村にはまだ残っていたと言われています。そんなに住み易かったのでしょうか?
いままでこの住まいは「冬暖かく夏涼しい」と言われてきたのですが、実際にその中ですごす実験をした人の話では、夏はともかく、冬はとても寒かったといいます。
ではそんなに住み難かった竪穴に我々の先祖はなぜも長くこだわって棲みつづけてきたのでしょうか?