縄文ファッション−2

 さて前々回、「竪穴住居は寒かった」と言いましたが、どう考えても縄文人(だけでなく当時の人たちは)とても寒さに強かったようです。
 なにしろ最近では「衣類は寒さを防ぐための目的ではなく、性的な理由で着られる」という説が有力ということです。縄文人もその例に漏れなかったとしたら多分われわれの想像以上におしゃれな感覚のものだったのではないでしょうか。

 最近よく当時のファッションを復元していますが、土偶などに見られる「渦巻き・波形」の模様で色は赤と黒が主体だったと思われています。これはウルシ製品が出土しているのが、この2色だからです。ただ私はもうすでに縄文人は草木染め土染めの技法を知っていたと確信しておりますので、多分多彩な色彩を楽しんでいたと思います。
 ただ当時の編む技術はそんなに巾広の布をつくることが出来なかったはずだから半身のものを縫い足して衣類としていたのでしょう。
 いま私の周辺で「縄文ブライダルショー」をという話があがっています。いろんな方と一緒に「独断と偏見」それに妥協も織り交ぜて楽しいものにしたいと思っています。

 さて装身具としては青森の三内丸山で、日本では新潟県の糸魚川でしか採れないヒスイの大玉に穴を開けたものが見つかっています。あの硬い石にどうやって穴を開けたか感心します。同時に北海道の黒曜石で造ったヤジリも発見されていることから、当時すでに遠距離との交易があったこと、それには船が使われていたこと、ある程度の階層が生まれていたことなどを示唆しています。

 また彼らにはいわゆる「ハレとケ」という生活基準があったことも示しています。ハレとは非日常すなわち祭り、ケは日常すなわち普通の日で、質素な普段の生活から祭りには精一杯おめかしをしておいしいものを腹一杯食べるという習慣で、これはつい最近までの日本人の意識の中に、いや形を変えて現在でもしっかり根を下ろしているものなのです。


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