コメと縄文人

 私は「森の縄文」「コメの弥生」と言ってきました。縄文人はドングリや野生のイモなどを採集する(いわゆる農業革命以前)生活と規定してきました。ところが最近ではかなり早く(縄文前期の6000年ころ)岡山の朝寝鼻遺跡で、すでにコメがあったことが発見されました。

当時のコメは現在の我々の食べている温帯ジャポニカ米ではなく、熱帯ジャポニカといわれるもので、陸稲( りくとうあるいはおかぼ )と呼ばれるものでした。では水田んで作る温帯ジャポニカを弥生人がチャイナあるいはコリアの地から持ってきたのか、ということも、最近では「ちょっと待った」ということになっています。

 例えば北九州の板付第1遺跡の水田は縄文人の遺骨とセットされています。
 また静岡大学の植物DNAの権威、佐藤洋一郎先生の研究では、何重もの環濠を持つ完璧な弥生型遺跡である滋賀県の下之郷遺跡で、検体の半数近い熱帯ジャポニカを発見しています。

 そこで、(佐藤先生の大胆な仮説としての)水田稲作は弥生人が持ってきたのでなく、縄文人が逆渡来して持ってかえったのでは〜。ということも視野に入れる必要が生じました。
 では縄文人と弥生人の骨格の違いや身長の違いは?という疑問が生まれます。佐藤先生は、では戦前や戦後の人たちと現在の人たちの差はそんなものでなく、西欧人とアジア人との差ほどある。もし未来の人が比較したら、日本は敗戦で白人との混血が進んだのだ、という説とまったく同じではないか、ということです。

 いかがですか?事程左様に我々日本人の先祖はまだまだ「ナゾ」がいっぱいなのです!

 「縄文雑感 あれやこれや」ですが、1月末体調を崩してしまい、目下静養中ですので、今回でしばらく休息させて頂きます。 
 つたない文で失礼しました。ただ質問などはお受けしますのでよろしく!


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